星、星だな

 

 

生活していく中で必要なものじゃないのに、なくても生きていけるのに、なんだか探してしまって、あると嬉しいもの。

 

虹を見つけたとき、友達と偶然会ったとき、素敵な文章と出会ったとき、かわいい服を見つけたとき、好きな歌に出会ったとき、そのときも、あ!と思うけど、それぞれの、あ!は違って、どれも、それぞれの気持ちに代えられない。

 

どの嬉しさが大きいとかはない。それぞれ違うもので、比べられるものじゃない。虹で感じられる嬉しさと、星で感じられる嬉しさは違う。虹の美しさを知っても、星の輝きを求めている。それぞれ、代えがたい、唯一無二の、嬉しさだから。

 

 

どうしてあんなに輝いているのかわからないくらい眩しくて、遠くて、私が知る前からずっとそこにいるもの。私のことは見えていないのに、輝きを届けてくれる。何億光年離れたところで、生きている人がいる。遠いところできっと懸命に生きている存在がいることを、何となく感じられることから得られる、安心がある。

 

昼に屋内で勉強したり働いたりしているときには絶対に出会えないし、夜になってこちらからたまに見ることができるだけ。交わることはないし、こちらの生活が変わろうと、夜空を見上げると、こちらの変化など知らず向こうは向こうのルールに従っていつも通り輝いている、そんなところに救われることもある。

 

 

 

星から来た特別な人。

 

 

 

それだけで良かったのに、君は、星からやって来た。相変わらず遠いところにいて、こちらの世界と交わることはないし、向こうのルールで生きている。けど、こちらのことを見ようとしたり、こちらのことをいろいろ考えたり、こちらのことを大事に思ったり。

 

私の生活には必要ないはずだったのに、夜空を見上げたときだけ見えればよかったのに、昼でも、生活しているときでも、頭から離れない。嬉しさの大小はないはずだったのに、これ以上ってきっとない、これだけあれば何もいらないなんて思ってしまう。

 

虹や歌にそれぞれの嬉しさがあるはずだったのに、同時に思い浮かんで、嬉しい×嬉しいでただでさえ嬉しいのに、その虹や歌の新たな一面が見えちゃうこともあって、それ自体の嬉しさを増幅させる。

 

 

星から来た人はきっと他にもいて、でも、なぜだか私にとって特別な人。なぜなのかはわからないけど、特別である証拠は恥ずかしいくらいたくさんあって、否定できないし、否定なんかせずなぜなのか考えるだけでも楽しい。

 

 

 

星から来た特別な人。

 

 

これからも、きっと。